■会社概要
■企業理念
痩せ我慢
和して流れず
真実一路
■会社概要
商 号 | 平田建設株式会社 | |
代 表 者 | 代表取締役会長 平田 幸雄 | |
代表取締役社長 平田 大樹 | ||
創 業 | 昭和43年10月1日 | |
資 本 金 | 3,000万円 | |
社 員 数 | 20名 | |
事務所所在地 | 本 社 〒520-1533 滋賀県高島市新旭町安井川166番地 | |
TEL 0740−25−7777 / FAX 0740−25−7776 | ||
大津営業所 〒520-0103 滋賀県大津市木の岡町34番5号 | ||
TEL 077−578−2230 / FAX 077−579−1822 | ||
事 業 内 容 | 総合建設業 | |
許 可 登 録 | 建築工事業 滋賀県知事許可(特−3)第80045号 | |
土木工事業 滋賀県知事許可(般−3)第80045号 | ||
とび・土工工事業 滋賀県知事許可(特−3)第80045号 | ||
塗装工事業 滋賀県知事許可(特−3)第80045号 | ||
電気通信工事業 滋賀県知事許可(般−3)第80045号 | ||
解体工事業 滋賀県知事許可(特−3)第80045号 | ||
造園工事業 滋賀県知事許可(般−3)第80045号 | ||
防水工事業 滋賀県知事許可(特−4)第80045号 | ||
一級建築士事務所登録 | 滋賀県知事(ト)第910号 | |
取 引 銀 行 | 滋賀銀行 本店営業部 | |
有 資 格 者 | 一級建築士 二級建築士 | |
一級建築施工管理技士 二級建築施工管理技士 | ||
一級土木施工管理技士 二級土木施工管理技士 | ||
一級建設業経理事務士 二級建設業経理事務士 | ||
宅地建物取引主任者 |
■営業の沿革
昭和43年10月 1日 | 平田建設創業 |
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昭和45年10月11日 | 滋賀県知事登録 第8089号 |
昭和47年10月 6日 | 平田建設株式会社設立 資本金500万 |
昭和47年11月 9日 | 資本金1,000万に増資 |
昭和48年 2月10日 | 滋賀県知事許可(建) 般-47 第8041号 |
昭和50年12月26日 | 滋賀県知事許可(建) 特-50 第80045号 |
昭和53年 4月11日 | 滋賀県知事許可(土) 般-53 第80045号 |
平成 2年 7月20日 | 資本金1,500万に増資 |
平成 3年12月18日 | 資本金3,000万に増資 |
平成11年12月27日 | 滋賀県知事許可(塗) 特-11 第80045号 |
平成14年 6月 6日 | 滋賀県知事許可(とび・土工) 特-14 第80045号 |
平成19年11月28日 | 滋賀県知事許可(電気通信) 般-19 第80045号 |
平成29年 8月22日 | 滋賀県知事許可(解体) 特-29 第80045号 |
平成29年 8月22日 | 滋賀県知事許可(造園) 般-29 第80045号 |
令和5年1月19日
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滋賀県知事許可(防水) 特-4 第80045号
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■代表のご挨拶
彷徨の季節
昭和20年、戦争が終わった。疎開の親戚が東京へ、名古屋へ、大阪へ、京都へ帰って行く。お別れ会はカシワの椀廻し(鶏のすき焼き)、達者でなー またおいでやー 新儀駅で手を振りながら別れを惜しみ、にぎやかな生活はひとまず幕を閉じました。
刻はしばし流れ、昭和24年、疎開先が懐かしく思い出され流行りだしたあの歌 青い山脈 にぎやかだったあの日の生活を思い出し、互いの深い絆を確かめ合いました。焼野原、生別れ、傷痍軍人の列、悲しみの中で逞しく生きる人々の姿、あの時今日の繁栄を誰が想像できたでしょうか。国民の叡智は見事です。
とんがり帽子の時計台、鐘の鳴る丘へ毎年行く日を楽しみにしています。
旧江若鉄道 新儀駅 上り、下りに尽きぬ想い出があります
私は戦争が終わった翌年、昭和21年新儀小学校に入学しました。国民のすべてが行き場を失い、途方に暮れ、明日に繋ける夢も希望もない、なんともやるせない時代でした。そんな真っ暗な世情の中にありながら、両親の深い愛情と世間様のお蔭で育てていただきました。そんな時代、子供の私はなにひとつとして世の中に役立つわけもありません。早く社会に出て一生懸命働きたい、その一心でした。
月日は流れ昭和33年、やっと高島高校卒業、初めて社会に出て働く事になりました。月給は8,000円でした。フランク永井の流行歌13800円にはまだ暫し時間を要しました。両親を喜ばせてやりたい、安心させてやりたい、お世話になった方々に少しでも御恩返しをしたい、そんな気持でいっぱいでしたが、この収入8,000円ではなにもできません。
その後夜学卒業、彷徨の季節は流れ、29歳創業、微力ながら我武者羅に頑張って、なんとかここまで辿り着きました。
気がつけばいつの間にか、あっという間に80歳を超え、来し方をこわごわ振り返っています。
当時の社会、世情を思い出しながら大好きだった昨年のテレビ番組「なつぞら」の余韻を毎日味わい、
階前の梧葉 すでに秋聲 やれやれ私のお遍路も無魔成満、と思っていた矢先、今回の「新型コロナウイルスの世界的大流行、パンデミック」という大きな問題に遭遇しました。世界にとてつもない恐ろしい、大きな悪影響を及ぼし、大混乱が生じるに違いありません。おそらく、生まれて初めて立ち向かう体験に違いありません。ところが80歳を超えた私には、昔のようにバイクに乗って現場を走り回る気力もなければ、体力も智力もありません。
「世界経済元年」
誰も寝てはならぬ 眠ってはいけない この危機を経験したことで強く生き抜いて欲しい、日本人の知恵を信じています。
これから先は、息子が社長として、未来に向ってどのような生き方をするのか、生きて行けるのか、社会に少しでもお役に立てる人間に成長できるのか、おそるおそる見守って参ります。
今日までたいへんお世話になった皆様方、蒼生安寧を願い、これからも、生涯御交誼、お力添え賜りますようお願い申し上げます。
今日まで長い間、育てていただき、ありがとうございました。心よりお礼申し上げます
ごあいさつ
1995年、創業者 平田幸雄から会社を引継ぎました。大言壮語を話せる能力もなければ、他人様より優れている知力も持ち合わせておりません。「世界経済元年」に遭遇した今、只々精一杯働き、悔いの無きよう生きて参る所存でおります。
父親同様御愛顧、御指導賜りますよう伏してお願い申し上げます。